ドンキーカルテットは、1960年代~1970年代にかけて活躍したコミックソング・コントなどを手がけた音楽バンド。1964年にザ・ドリフターズから独立する形で誕生した(この経緯はザ・ドリフターズの項を参照)。小野ヤスシをリーダーとして、テレビなどでも活躍していたが、1971年に解散。以降はそれぞれ単独でタレントや司会者として活躍していた。
コミックソングの代表的なヒット曲として約20万枚を売り上げた「宮本武蔵」がある。
グループサウンズの中でも最も危険なバンド、ザ・ダイナマイツと対バンしたこともあった。
メンバー
祝以外は初期ドリフターズのメンバーである。
- 小野ヤスシ
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鳥取県出身。リーダーでボーカル兼ギター兼ベース担当。「鳥取県が産んだ最大の芸術家」がキャッチフレーズ。他にネタに入る際の決め科白として「一発ぶちかましてご覧に入れます。」がある。なお、リーダーは名目上のことで、実際はメンバーの立場は対等だったという。解散後も、バラエティ番組の司会者やタレントとして活躍している。(代表作にはフジテレビの特番「スターどっきり(秘)報告」などがある)近年では、旧知の仲である加藤茶とバンドを組んで話題になったことがあった。
- 飯塚文男
- 東京都出身。キーボード担当。元々はジミー時田とウェスタンミュージックをやっていたことから、この分野の造詣が深いことで知られていた。全盛期時には既に脱退。後年日本テレビの深夜番組11PM水曜日(愛川欽也司会)のレポーターとして有名であった。近年まで、カントリーミュージックを中心に音楽活動をしていたが、2003年に死去。
- ジャイアント吉田(吉田かずお)1936年1月25日 -
- 東京都出身。ボーカル兼ギター兼ベース担当。1958年に日本大学経済学部卒業、マウンテンプレイボーイズを結成。いかりや長介とは旧知の間柄。ドンキーカルテット唯一のヒット作「宮本武蔵」では作詞・作曲、ならびにリードボーカルを担当した。解散後は、猪熊・祝とともにシンフォニックマッドを結成、その後ブラックジャックを経て、5人組のジャイアント吉田とドンキーズを結成。一時ハワイアンのライブハウスも経営したが現在は鴨川でラハイナという名前でハワイアンスタイルのレストランを経営している。自身の特技でもある催眠術に活路を求め、現在は芸能界の他、催眠術師として、執筆活動や催眠法のクリニックなどで活躍するほか、2010年に設立された一般財団法人日本催眠術協会の理事を務める。(公式HPの代表理事との記載は誤記)ミスター・マリックの裏方としても活躍していた。芸名は「ジャイアント」だが小柄な体格である(大柄だったのは猪熊虎五郎)。若い頃、武術にいそしみ、禅・瞑想・氣そして催眠へと関心を持つことになったが、元々は太気拳の澤井健一の初期(3番目)の門下生であった。
- 猪熊虎五郎
- 東京都出身。バイオリン兼キーボード兼ベース担当。甲高い叫び声が売り物だった。シンフォニックマッド解散後は、ドンキーズにも参加し、声優などをこなしていたが、次第に芸能界からは遠のいていった。2001年に死去。
- 祝勝(いわいまさる)
- 神奈川県出身。本名岩井勝(読み同じ)。ベース兼ドラム担当。「シュクショー」と呼ばれた。演奏中、影でこっそりやきそば弁当を食べて突っ込まれるというギャグがあった。シンフォニックマッド解散後引退し、現在の消息は不明。
出演番組
外部リンク
血液型占い(けつえきがたうらない)は、ABO式血液型を属性として占う、日本特有の占い方法のひとつ。
現存する占いのうち最も属性の数が少なく、短時間または少ないページですべての属性についての解説ができることから、テレビ番組や雑誌の占いコーナーでよく用いられる。
紫微斗数(しび-とすう)は占いの一種。
唐末から宋の時代にかけての有名な仙人であった陳希夷が創始したと伝えられている。
紫微斗数の名前は、北極星である紫微星[2]を主とする星々から運命(=数)を量る枡(=斗)を意味している。
方位神(ほういじん)とは、九星術から生じたもので、その神のいる方位に対して事を起こすと吉凶の作用をもたらすと考えられた神である。
方位神は、それぞれの神に定められた規則に従って各方位を遊行する。吉神のいる方角を吉方位といい、凶神のいる方角を凶方位という。